漆の木は、日本の他、中国、カンボジア、タイ、インドなどの東アジアの国々に分布していますが、各地の気候風土が異なることから、漆の性質も違ってきます。
北限は日本です。
ウルシオールの成分が多ければ多いほど、丈夫で硬い漆作品を作ることができます。漆を塗り、乾燥後、硬くなった漆は、傷がつきにくいのです。
実際、中国の漆を利活用し作品をつくった経験上、中国産はウルシオール成分が少ないのか、漆が固まっても、柔らかいことから、脆く傷つきやすいです。
タイやベトナムの漆は黒色で、ウルシオールよりもゴム質が多く、限られた用途で使われることが多いようです。
科学的な成分表は手元にありませんが、実際の経験上、日本産の漆は、これら国々の漆と比較すると、ウルシオールが多いと体感しました。
ヨーロッパには漆の木がなかったことから、日本で漆器を見た西洋人の目には、漆の深い色「漆黒」が神秘的に写ったと言われています。
江戸時代、鎖国前、輸出品として漆器が上位でした。
16世紀後半、宣教師によって、日本からヨーロッパに輸出された漆器は、王侯貴族を魅了し、日本は「ジャパン」と呼ばれるようになりました。鎖国により、漆器の価格は、1万円から10万円に跳ね上がり、貴族しか購入できなくなりました。
欧州人は高くなった漆器を購入することができなくなり、欧州で“漆”を“開発”する人が現れました。
それほど、世界にとって、漆器は魅力的な作品だったのです。
その後、江戸幕府が終わり、日本は開国。“漆黒であれば売れる”漆器ブームが起き、漆器の輸出が盛んになりました。
戦時中には、日本の軍艦の塗料に、漆が使われ始めました。
“漆”は、あらゆるものを劣化から守り、強度/耐久性を増すことで認知され、日露戦争からは、軍艦、火縄銃などに漆が塗られるようになりました。日本軍は、イギリスの戦艦を輸入し、造船所で、軍艦の表面に漆を焼き付けて、軍艦の強度を高め、防錆塗料として、戦艦を加工していました。
戦争など悲劇な歴史もありますが、日本の歴史上、あらゆる場面で漆は使われていたのです。
現在、国宝や重要文化財の建造物 神社仏閣などの改修・補修には、100%日本産の漆を使用する方針を決定、国産漆の重要性を位置づけています。
ヨーロッパを魅了した“漆”… だが…
日本の漆は大航海時代に訪日したヨーロッパの人たちに深い感銘を与えました。
16世紀、勢力を拡大したスペイン人、ポルトガル人はこれまで見たことがない漆でつくられた工芸品に出会いました。
「JAPAN」が漆器を表すように、金、銀、貝による模様で加飾された黒く光り輝く漆工芸品は西洋に輸出され、それらは富と権力の象徴となりました。
フランス王妃マリー・アントワネット王侯貴族は競って漆工芸品を集め、ヴェルサイユ宮殿を華やかに飾りました。17世紀末頃から鎖国などにより、流通量が激減、もともと稀少であった漆工芸品は、入手がさらに困難となりました。
日本の「漆黒」に憧れ、その色つやを再現するために、ヨーロッパでは、ニスなどを使った模造品も流行し始めたようです。
その当時、日本からヨーロッパへと輸出された漆器類は現在、フランスのルーヴル美術館などで鑑賞することができます。
世界でも人気が高い漆器ですが、これまでの漆器には、木地が使われていることから、世界各地の異なる気候に弱く、『経年劣化』してしまいます。
また、「黒ければ売れる」が始まると、手を抜く漆職人も多く、高価なブランドイメージで商業化してきた漆器ブームは一時的に終了しました。
「木地は異なる気候、特に乾燥に弱い」それが、世界にはまだ“漆”が羽ばたいていない大きな理由です。
世界各地の樹木は、各地で異なります。その地にあったものが生息しやすいのです。その地に合わない木地を、異なる気候の地に持っていくと、乾燥・湿度などの気候変動の影響で、割れるなど、劣化してしまうのです。漆器は特に、下地に木地が使われていることから、乾燥に弱いのです。
しかし、『芯漆』アートは、木地を使わず、100%日本産の漆で作られていることから、良質で、いかなる気候状況にも強いのです。
ただ、あらゆる材と同じように、漆も直射日光による紫外線には弱いです。
◇ “偏光性”ある「漆黒」
漆は、たとえ乾燥しても、生き続けているので、“偏光性”があるのです。朝・昼・夜など、光によって異なる輝きを見せます。
これら“漆”本質の特長を最大限に活かした技法が『芯漆』です。
漆は、アートとしての魅力・ポテンシャルが大変高い自然素材と思っています。